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 台湾語のバリエーション



地域によるバリエーション

大まかに区分すると、台湾語には大まかにいって台南方言、台北方言、台中方言(台中周辺)、彰化県の港町・鹿港)に典型的に見られる海口(ハイカウ)諸方言、北部(北東)沿岸方言(特に宜蘭県の宜蘭方言)などのバリエーションが存在する。

制度化されていないこともあって、今のところ「標準的な台湾語」というものは存在しないが、強いて言えば、歴史的に古く、台湾語も日常的に優勢な台南方言が、事実上の標準の地位を占めつつある。

また、台東で使われている方言は、音韻体系からいって白話字に最も近い。台北方言の一部は第八声が無いことと、一部の母音に交換が起こること(例えば'i'と'u'、'e'と'oe')が特徴である。

台中方言は'i'と'u'の中間の母音があり、これを'ö'で表記することがある。宜蘭方言は母音'ng'が'uiN'に変化することが特徴である。

流暢さ

台湾人の大部分は、人によってその流暢さに大きな違いがあるものの、北京語と台湾語の両方を使用する事ができる。そのどちらを用いるかは状況によって異なるが、一般には公式の場では北京語を、非公式の場では台湾語を用いている。

台湾語は基本的には日常的に台湾すべての地域で話されているが、北京語が特に台北のような都市部でより多く用いられているのに対し、台湾語は地方部、特に南部の地方でより好まれる傾向にある。また年齢層別に見た場合では、老年層が台湾語を、若年層が北京語をそれぞれより多く用いる傾向に有る。

特有の芸術形式

七字仔(Chhit-jī-á)は各行が七言からなる詩格である。

また、「歌仔戯(koa-á-hì)("台湾オペラ")」という台湾語で表現するミュージカルもあり、多くの歴史の物語が台本化されている。

布袋戯(pò·-tē-hì, 「台湾人形劇」))という人形劇もある。布袋戯は子供だけではなく大人も見る人形劇として有名、台湾では日本の文楽のような存在とも言えよう。1970年代にテレビでドラマのように毎日放送され、97%の視聴率を記録した。国民の過熱を緩和するため放送禁止される事態となった。

今もケーブルテレビ専門のチャンネルがあり、毎日一日中放送している。2000年頃に映画「聖石伝説」も製作され、日本でも日本版が販売されている。

概念化と歴史

18世紀から19世紀の台湾では、戦乱が続き人心は乱れた。政府(中国及び日本)に対する蜂起に加え、民族同士の戦いも多かった。

通常、交戦国は、使っている言語ごとに同盟を組んだ。歴史上、客家語と台湾語を使う民族との間、それらと台湾原住民との間、さらに泉州弁を使う民族と漳州弁を使う民族との間の戦いがあったと記されている。

その後20世紀になってから、台湾語の概念化は、ほとんどの中国語のどの変種よりも大きな物議をかもした。というのも、1949年に台湾に来た外省人と、既に台湾にいた大部分の台湾人(本省人)の間に明確な差が見られたからである。

これら2つのグループ間における政治的、言語的な溝はほとんど埋まったにもかかわらず、台湾語に関する政治的問題は、他の中国語の変種にかかる問題よりも、大きな議論となり、また微妙な問題となった。

台湾語の歴史と、標準中国語である北方語(北京語、Mandarin)との相互関係は複雑で、常に議論の的になっている。台湾語をどう呼ぶかという呼称すらも議論の対象となっている。

一部の者は、台湾語という呼称は、北京語、客家語、台湾原住民族語等のその他の言語の存在を過小評価する印象を与えるとして、反対している。そういう人たちの多くは、これを中国福建省で使われる言語の変種だとする観点から、閩南語、又は福建語 (Hokkien) という呼称の方が良いと主張する。

しかし、福建省では客家語やショー語など異なる言語も存在するので、閩南語という呼称もまた福建省の多様性を無視するものとなっている。

一方 で、台湾は中国ではないとする観点から、閩南語、福建語という呼称は適切ではないとして、また台湾の他の言語集団にも配慮して、より中立的な名称としてホーロー語、あるいは台湾ホーロー語と呼ぶことが増えている。

政治

中国国民党政権は、北京官話(北京語)を「国語」と呼んで、公用語としていた為、1980年代までは、学校での台湾語使用を禁止、あるいは媒体での台湾語の放送の量を制限していた。

本省人の若者の間で台湾語よりも「国語」(北京官話)が支配的になっている理由としては教育やこれらの国策の影響がある。ただし現在のところ、台湾南部では、まだまだ民間社会のL領域(非公式な場)においては台湾語による会話の方が「国語」より優勢である。

教育においては相変わらず国語(北京官話)が支配的だが、台湾語、客家語、又は原住民族の言語の教育が必要だとの声が次第に高まってきている。

北京語では無く台湾語を使うという事は、国民党独裁体制への抵抗や台湾独立運動の一環として始まったが、民主化が定着しつつある現在では政治と言語のつながりはかつてほど強くはない。民進党陣営や独立派にとっても国民党陣営にとっても、台湾の政治において、北京語と台湾語の並行使用は、既に当たり前の現実になっている為である。

たとえば、外省人である宋楚瑜は、国民党の要職に就いた当初、メディアコントロールの責任者(新聞局長)を務め、台湾語をはじめとする母語の使用を制限していた。しかし1980年代の民主化以降は、半公式的な場で台湾語を積極的に使おうとする最初の外省人政治家となった。彼を皮切りに、ネイティブスピーカーでなく、台湾独立に反対する政治家も、台湾語を頻繁に使うケースが続々と現れた。

逆に、台湾本土派の政治家でも、現在では公的な場で北京語を用いることも少なくない。たとえば、陳水扁前中華民国総統は、就任式や外国からの接客といった公的な場では北京語を用いることも多かった。

しかし、公的な場面でも選挙戦や民進党関係の集会では台湾語を多用し、新年のあいさつのような非公式あるいは親密さを表す場では台湾語をよく用いていた。

現在では、外省人の二世、三世でも、母語並みに台湾語を操る人も増えている。また、日本統治時代以前から、台湾語が台湾社会で人口で優勢だったこともあって、台湾語を母語としない客家人の間でも、商売の必要性などから台湾語が流暢な者も多かった。

逆に現在ではホーロー人であっても、都市中産層出身だと台湾語が下手な人も増えている。つまり、「台湾語はホーロー人の言語で、北京語は外省人の言語」などといった言語とエスニックグループの関連付けも崩れつつある。

しかしながら、このように台湾社会の現実では、エスニックグループに関係なく、いろんな言語を混在して使うケースが増えているにもかかわらず、台湾語と北京語の間の関係については、いまだに政治的な対立点にもなっている。

一般的に、保守的な国民党陣営は、国民党一党支配時代以来の北京語を優先する政策を堅持し、北京語は異なるエスニックグループ間の共通言語としての役割を果たすべきだと主張する傾向がある。この陣営はまた、国語や公用語は一つであるべきだと考えている。

それに対して、民進党陣営や台湾独立派は、台湾語をはじめとしたすべての台湾の言語が同等に尊重されるべきだと主張する傾向が強い。民進党は、1986年の成立時点から「多言語主義」を綱領の中でも主張してきた。

事実、2000年に民進党が政権を獲得してからは、国民党時代の「単一国語主義」ではなく、多言語政策が進められている。客家語を使う客家テレビや原住民族諸語も使う原住民族テレビなどが次々に成立し、政府の広報CMでも、台湾語や客家語も多用されるようになった。

現在では台湾語だけを台湾の土着言語として重視するのではなく、客家語や原住民族諸語も国語あるいは公用語にすべきだという意見が強まっている。民進党政権(当時)は台湾のすべての言語を尊重して北京語独占を排除する「国家言語法」制定を推進しているが、保守的な勢力はこれに強く抵抗している。


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